病棟に、とある90代半ばのおじいさんが入院しています。
スミタニ(仮)さんという方です。
「やあスミさん。調子はどうですか?」
「あいたた・・・相変わらず腰が痛いなあ」
「スミさんは肺炎と一緒に、腰の骨も折れてしまっていますから・・・しばらくは入院でお付き合い頂くことになりそうですよ」
「そうかあ。まあ、ワシももう90超えてな。延命治療なんて望まないから、先生の力で楽に逝かせてくれたらありがたいんだけどなあ」
「やいやいやい、そんなわけにはいきませんよスミさん。また病気治して元気になってもらうために、我々頑張ってますからね!さあご飯を食べて!」
「アイタタタ、えらいことする先生だなあ。でもな、わしはもう母ちゃん(奥さんのこと)も逝ってしまって、子供もおらん。もう、わしはいつ行ってもいいんだよ」
スミタニさんは90を超えたご高齢ながら、認知症もまったく無く、数年前に奥さんを亡くされてから1人暮らしで立派に生活してきた方でした。
そんなある日、だんだん腰が痛くなって歩けなくなってしまい、親戚の方に連れられて救急外来に受診されたのです。
診断は腰の骨の骨折と、肺炎。
そのまま治療のために入院されました。
「しかし、こんな痛いのに、よく病院まで来れましたね。救急車とか、呼ばなかったのですか?」
「いや、救急車には断られてしまったんじゃよ」
「えっ?」
1日掛かりの受診
もともとスミさんは病院が嫌いだそうです。
昔はなぜか血を吐いてしまった時ですら病院にかからず自力で治したくらいだそう。
当然、奥さんに先立たれて一人暮らしになってからも、病院には無縁で生活していたスミさん。
しかし、ある日突然の腰痛が発症。
それでも何とかやっていたけれど、ついにどうにも動けなくなって、病院に受診しようと思ったそうです。
「手帳に○○(ご親戚)の番号が書いてあったからの、病院に連れて行ってもらおうと思って、電話をかけようと思っての」
スミさんの家の電話はなぜか固定電話が使えなかったらしく、スミさんは携帯電話を使おうとひさしぶりに携帯電話を取り出してきました。
しかし当然ですが、電池切れ。
しかも、充電器がなかなか見つからず、痛む腰で必死で探し回ったそうです。何とか充電機を見つけ出し、いざ電話をしようとしますが。
「最近の携帯電話は難しくての・・・番号を何回打っても、なかなか電話ができなくてな。半日ぐらいずーっと携帯電話と格闘しとったわワッハッハ」
「半日も!」
半日の格闘の末、親戚を呼ぶことに成功したスミさん。
家に来た親戚は、ほとんど動けなくなってしまっているスミさんを見て、救急車を呼んだそうです。しかし・・・。
「一回は、救急車の中にまで入ったんじゃけどな。腰痛だけでは、救急車は使えないって、降ろされてしまって・・・結局、その後○○の車でここまで連れてきてもらったんじゃよ」
「そんなことが・・・それで夜に受診になっちゃったんですね」
詳しい状況はわかりませんし、救急車のコンビニ利用が問題になって、医療機関も救急隊も疲弊が進む中、これが是か非かは論ずることはしません。ただ、腰が痛くて動けないスミさんが、救急車の中で怒られて、降ろされてしまう様子を想像したら、なんともやりきれない気持ちになりました。
「スミさん大変な思いさせちゃって申し訳なかったよ」
「ワッハッハいいんじゃよ今の医療もいろいろ大変じゃろうから」
ある日の回診で
そんなスミさん、90半ばという御年ながら、驚くほどしっかりされていました。
90を超える年齢になると、どうしても、だれでも、幾ばくかの認知症であったり、難聴であったりで、意思疎通をすることが難しくなります。
そんな中、スミさんはまったく認知症もなく、普通に会話ができる方でした。
そんなある日、私はスミさんの話を長く聴かせてもらうことがありました。
「やあこんにちはスミさん。調子はどうかな?」
「やあ。先生、もうこの点滴も抜いてくれんかの、わしはもうあの世に行ってもいいんじゃよ」
と、スミさんはどこまで本気かわからないような様子で、ニヤっと笑って、でも何となく寂しそうに言うのでした。
「そう言われても私は医者ですから、治すことしかできないんですよ!ごめんなさいね!」
と内心ドキドキしながら、いつものように話をしていたのですが。
「こんな寝たきりになって皆様に迷惑かけるくらいなら、戦争中に、コロっと逝っておけばよかったのう」
「あっそうか。スミさんは戦争に行ってたんですね」
「そうじゃよ。まあ、兵隊になって、すぐに負けてしまったけどなあ」
「そうかあ・・・」
1945年の終戦の時代を経験している方は、今はもう大分減ってきていて、しかも兵隊として参加した方はもう90を超えている方ばかりでしょう。
私を含めて、教科書とか、新聞とか、そういうものでしか戦争を知らない人がほとんどになってしまった現代で、まったく普通に、当時のことを教えてくれる方って、実はもうほとんどいないんじゃないか。そう思うと、私は何だかスミさんの話をすごく聞きたくなったのです。
「スミさん、よかったら戦争の時の話聴かせてよ」
「戦争かあ」
そうしてスミさんは語り出してくれました。
スミさんと韓国人
若かりしスミさん
時は戦争の終盤のころ。
長引いた戦争のお陰で、多くの若者が兵役に出てしまい、日本は若い男たちの数が減っていたそうです。
そのため、大砲などの兵器をつくるための重労働を行う人材が不足していました。
スミさんは、当時まだ成人前で、その工場で働いていたそうです。
そして、いよいよ自分も兵役につく、という話になったわけですが、スミさんがいなくなったら工場が動かなくなってしまう。そのため、引き継ぎのための人材を教育してから、兵役につくことになったそうです。
「やあ、お前たちが俺の後の仕事を引き継いでくれる2人か。よろしく頼むぞ」
「アニョハセヨ」
「えっ」
「そらぁびっくりしたぞ。なにせ日本語が通じなかったんじゃから」
当時日本では、国内の産業を支えるために韓国の方を国内に連れてきて、労働力として利用しようとしていたそうです。
スミさんの後釜となる2人も、2人とも韓国人でした。
「そりゃあ困ったでしょう・・・日本語も通じないでしょうし」
「いや、でもそれがな。あいつら頭が良くてなあ。すぐに日本語ペラペラになっておったわ。よく笑う、いいやつらじゃったよ。でも、そのころのそういうのが、今の韓国との問題になってるんじゃろうなあ」
「そうですね・・・」
「でもあの頃は仲良くやっておったんじゃよ。もちろん、韓国人がどう思ってたか本当のところはわからんがなあ」
「きっと、無理やり連れてこられたわけですからね。でも、それなりにも笑って仲良くやれてたってのいうは、何だか救われる気がするよ」
スミさんとごはん
そして、無事後釜の教育を終えたスミさんは、無事兵隊に入隊しました。
「入隊した日はよーく覚えとる。おっかあが、久しぶりに米のご飯をだしてくれたんじゃ」
「当時はもうあんまり米も食えんかったんじゃけど、おっかあが仏壇に米を隠しとったんじゃな。それを出してくれて、食べたんじゃけど、なにせ仏壇に隠してた米だから、線香の味がしてのう」
「うまい、うまいけど線香の味がするぞ、おっかあ、と大笑いしながら食べたんじゃよ。あの味は忘れられないのお」
「・・・」
「まあ、今の病院のおかゆのほうが何倍もうまいけどなあ!わっはっは」
「まあそれで、おっかあたちに見送られて、機関車にのって兵隊の基地に行ったわけじゃ」
「そのシーン想像するだけでなんか泣きそう」
軽機関銃とスミさん
「で、部隊に配属されたんじゃけどな。わしは軽機関銃を使う部隊に配属されたんじゃ」
「へー銃かあ。そりゃそうだけども、やっぱり戦争ですね・・・」
「そう、だから街中を銃を持って歩いているとな、市民が言ってくれるんじゃよ。『兵隊さんがいてくれれば、街も安心だ』なんてな。でもな、実はなーんも安心じゃなかったんじゃよ」
「どういうこと?」
「当時な、もう日本に銃の弾なんて無くてな、軽機関銃は持っちょるけども、弾は一発も持たされてなかったんじゃ」
「そ、そうなのか・・・」
「だから見た目だけは立派な格好じゃけどな、なーんもやれることなんてありゃせん。しかもな、もう当時は空襲だーなんて、アメリカは飛行機でバババババ!っと打ってくるんじゃ」
「そんなところで、軽機関銃もって、空に向かってバン!なんて。何になるかってな。ワッハッハ」
「・・・でも、市民からしたらスミさんが頼もしく見えてたんだろうなあ」
肉爆弾とスミさん
「まあ、そんな状況じゃから、訓練もまともなもんじゃなかった」
「どんな訓練だったの?」
「例えばなあ、10kgぐらいある爆弾をな。こう、お腹に抱えて移動する練習じゃ」
「えっ素手で?それはどういう練習?」
「こういう爆弾を抱えてな、相手の戦車の下に潜り込むんじゃ。もちろん動いてる戦車になんか無理じゃよ 。相手の基地とかな、相手の止まっている戦車の下に潜り込むんじゃ」
「そ・・・それは、特攻っていう・・・」
「特攻・・・というか、いわゆる肉爆弾ってやつじゃな」
「肉番弾・・・」
「あの頃は死ぬ気で戦っておったからな。実際、アメリカの基地まで爆弾もって近づいていったこともある」
「えっ本当に!?」
「でもな、実際あいつらの陣地も、もちろん鉄条網で囲われてるし、その中に電気も流れてる。簡単には入ることができんのじゃ。しかも、基地のそばには軍用犬がいっぱいいてな」
「あいつら、少しでも音がすると、ものすごい勢いでやってきて、吠えるんじゃよ。それはもうすごい顔してな・・・あれは怖かったぞおワッハッハ」
「凄まじいことだなあ・・・」
20歳やそこらの青年が、重たい爆弾を抱えて基地に向かう。
スミさんはどんな気持ちで向かっていったんだろう。
笑って話すスミさんの気持ちは正直よくわからなかったけれど、現実にそれを経験してきた人が目の前にいると思うと、なんだか身が引き締まる思いでした。
スミさんと終戦
「そんなこんなでな、まあ、負けるとおもっておったよ。毎日のように本土に飛行機が飛んできとるわけじゃから。そんな攻め込まれてて勝てるわけがありゃせん。そんである日、天皇陛下からのラジオ放送があるって話がきた」
「ああ、あの有名な」
「それで、軍のみんなが一つの部屋に集まって放送を聞くことになったんじゃけど、その部屋が暑いところでな。わしは、こっそり抜けて、外で涼んでおったんじゃ」
「ええっそんな?そんなの許されるもんなの!?」
「ふぁっふぁバレなきゃいいんじゃよ」
「そ、そういうものなのか・・・兵隊の雰囲気がわからないけど、意外とそんな感じなのか、それともスミさんが豪の者だったのか」
「それでな、放送が流れ始めてな。まあ、外でも少し聞こえてきたんじゃけどな。当時のラジオなんてひどいもんでな。ピーとかガーとかばっかり言ってて、結局天皇が何を言ってるかなんてわかりゃせんかった」
「で、放送が終わったころに戻って、こっそり仲間に聞いたんじゃな。なんて言ってたんだって」
「何て言ってた?」
「わからん。でも、戦争が終わったってことだけはわかった」
「えっそうなの?」
「そういう感じだったんだ・・・。スミさん歴史的一瞬をサボって聞き逃してたってなんかすごいね逆に・・・。で、どうだったの、そのとき。スミさんの気持ちは」
「まあ、負けたんじゃなって思ったよ。でも、現実感はなかったな。他のみんなも、そうじゃったと思う」
「急に戦争が終わったって言われても、みんなどうしていいかわからなくてな。その日は結局そのまま、予定の暗号解読の訓練を始めようってことになってな」
「えっ戦争が終わったのに?」
「他にやることもないというか、何をしていいかわからないからの・・・。でも、そうして暗号解読の訓練をしていた最中に、上等兵の声が聞こえてきてな。『戦争が終わったのにこんなことして何になる!』って狂ったみたいに叫んでたんじゃ。その時に、ああ戦争が終わったのかなと思ったよ」
スミさんの経過
そんな話をしていると、病棟に昼ごはんが運ばれてきていました。
「やあ長々と話を聴かせてもらっちゃっいましたね・・・ご飯が冷めちゃいますね、食べますかスミさん」
「おうおういただこう。アンタもご飯食べてないだろう、食っておいで」
「そうですね、食べてきます。うおおおめっちゃ足しびれた」
「ふぉふぉふぉ」
「スミさん、思うんですけど、こういう話を生で聞けるのってすごい貴重なんで、また色々教えてください」
「ほうかほうか。いつでもおいでや」
「まあ主治医なんでもちろん来るんですけどね!」
スミさんはそういうと手をあげ、「そんじゃ」みたいな感じでご飯を食べ始めました。
天涯孤独なスミさんの話は、それを伝える相手がいないと、このままいつか天国に持って行ってしまうことになってしまう。そう思ったら、ブログに書いておきたいと思って、今日こんなふうに残しておきました(スミさんの許可も得ました)。
戦争を体験したことがない我々が、戦争の経験がある方から話を聞ける時間はもう少ししか残されていないのかもしれません。この年末、帰省がてら、もしご家族にそういう話を聞ける方がいるのなら、話を聞いてみてはどうでしょうか。
なおご本人のプライバシーのため、病状、名前や入院時期などは一部改変していますが。スミさんの経過は良好です!